2 Sep 2015
最近、
世間を騒がせている佐野氏。
今朝、
ニュースを見ていたら、
結局エンブレムデザインを取り下げることになったらしい。
私も広告業に携わる者の端くれとして、
この「東京五輪エンブレム」のデザイン盗用疑惑については、
問題発覚当初から興味深く眺めていた方だ。
佐野氏への疑惑は、
皆様も知っている通りのことなので、
ここで詳細を述べるのは避けるが、
以下のリンクにある記事が重要であると考える。
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12062144169.html
http://blog.esuteru.com/archives/8298356.html
結局のところ、
「利権なのかよ!!」と、
叫びたくなる。
まあ、
佐野氏の話題はこれ位にしておいて、
この記事のタイトルにある「潜在意識の恐ろしさ」について述べたいと思う。
同じく、今朝。
Yahoo!ニュースを眺めていたら、
Googleのロゴが刷新されたニュースが出ていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150902-00000001-rbb-sci
私「おおっ、Googleのロゴ刷新かぁ。」
私「むむっ!? “e”の文字が少し回転している!」
私「これは、283.Lifeの”e”の回転をパクっているのでは!?」
などと、心の中でつぶやいたわけであります。
しかしながら、
Googleのロゴの歴史を調べてみると、
“e”の回転は1999年から始まっていたようだ。
私「おおっ!!なんと私が後発かっ!!」
でも、
正直なところ、
私はずっと「Google」の”e”は、
回転しておらず、
通常の「e」と同じだと考えていた。
それもそのはず、
私は20世紀末のYahoo!全盛期の頃から、
ずっと検索エンジンはGoogleを使ってきたからだ。
なぜ、それもそのはずなのか!?
コレを見て欲しい。
始めの頃のGoogleの”e”は、
実は回転していない!!
刷り込みとは怖い物で、
最初に見た物を自分の親だと信じ込んでしまうアヒルのごとく、
私が最初に見た「Google」のロゴは、
回転していない”e”だったのだっ!!
この始めてGoogleを使ったときの印象から、
ずっと今の今まで、
私の潜在意識の中では、
Googleの”e”は、回転していない時の”e”だったのだ。
そのせいかどうか分からないが、
毎朝、PCの前に座ってから、
Googleのブラウザ”Chrome”を起ち上げ、
ホーム画面に設定されているGoogleのロゴを
目の当たりにしていたのにも関わらず、
私は、
「Googleの奴め、オレの“e”をパクりやがって。」
などと不覚にも考えてしまったのである。
正直、
回転している”e”なんて、
デザインの世界ではありふれた光景と言っても過言ではない。
私も日々、デザインに携わる身として、
283.Lifeの”e”は回転させてやろう、
と、はじめから思っていたわけである。
世界中に居るデザイナーの中には、
“e”をGoogleよりも先に回転させて使っていた人も、
おそらく、数多く居たのではなかろうか?
ただ、
これだけ世界中に回転”e”を
広めたのは他ならぬGoogleである事は、
異論を挿む余地もないだろう。
今回の私の思い違いだが、
こう言ったことは、
誰しもが一度くらいは経験があるのではないだろうか?
私の場合、
単なる弱小ブログのロゴの最後に、
Googleと同じ回転した“e”を無意識に使っていたのだが、
Googleベータ版の時の印象が強かった為に、
Googleのロゴは普通の“e”と思い込んでいたわけである。
しかしながら、
毎日眼にしていた回転”e”が、
私の潜在意識の奥深くに入っていき、
私が作ったブログ「283.Life」のロゴの”e”を
無意識に、
しかも、なんの躊躇もなく回転させていたとは・・・。
『芸術は模倣からはじまる』
『芸術は模倣である』
などと、
昔から言われてきたことだが、
ひとりの人間が、
全くの無から何かを生み出すことは、
難しいのかも知れない。
いや、
ひょっとしたら、
不可能なのかも知れない。
私は神でもなく、
脳科学者でもないわけで、
更に言えば、
現代医学で脳は解明されていない部分の方が多い訳なので、
現在の人間である以上、
この問題は誰も解決出来ないのであろう。
潜在意識と顕在意識。
顕在化するデザイン案の元になるのが、
識域下の潜在意識だとするならば、
その潜在意識に刷り込まれるのは、
かつて自分が見た物や感じた物が土台になるはず。
その潜在化した”自分の体験”を、
絵画であったり、音楽であったり、漫画であったり、
写真であったり、デザインであったりと・・・。
顕在意識に引っ張り出して、
形作ることが【パクる】と言うことなら、
この世のほとんど全ての創作作品は、
【パクリ】と言うことには、ならないだろうか?
しかし、
今回の五輪エンブレムパクリ疑惑は、
そのデザインを盗用したと言う論点ではなく、
パクったと揶揄されている佐野氏周辺の人間関係が、
その盗用疑惑を払拭するどころか、
更に悪い方向へ導いてしまっている事が問題なのであろう。
デザインが似ているなら、似ている。
参考にしたのなら、参考にした。
パクったのなら、「パクっちゃいました!」と、
素直に謝れないところが、佐野氏のつらい状況ではあるね。
今回の問題の件は、賛否両論あると思います。
私の意見としては、
デザイン案が”似ている”件については、
ある程度、仕方が無いのかなぁと思っています。
“e”の話じゃないけど、
自分ではパクったつもりも無い物が、
実は後から制作した物で、
自分の意識の下に隠れていたものだったとしたら、
本当に悪気はなかったのだと思います。
だけれども、
佐野氏が選ばれた理由が、
佐野氏周辺の人間関係が大きく影響しているのなら、
それは「デザイン模倣」とは別に、
論じられなければならない事だと思います。
世の中、
これだけ不景気なんだから、
自分の身内だけで、
お金を回すのは良くないよね!?
だって、
結局のところ国民一人ひとりの税金でしょ!?
「国民の奉仕者である」べき公務員が、
給料上がるのって、
おかしくない!!??
さて、
この辺で話をまとめましょう。
佐野研二郎氏が似たデザインを提出し採用されましたが、
結局、それを取り下げたので、
このデザイン案のことは、
これ以上、責めるのは止めにしよう。
しかし、
次のエンブレムデザインの事もあるので、
今後は、
デザイン案を広く公募し、
決定は、利権の発生しない形ですすめましょう!!
以上です!!
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